饮める
饮むことができる
两者字面上的意思都是 能喝
但是后者更加书面化 而且前者放在不同的语境里还可以具有评价的意思
比如形容一个人很能喝酒酒量很好
而后者只是说这个人具有喝酒这种能力 但不代表他很擅长喝酒
この人は饮める。这个人很能喝。
この人は饮むことができる。这个人会喝酒。
ピアノが弾ける
弾くことができる
也是同样的 都表示能弹钢琴 下面给两个例句
あの人はピアノが弾ける。那人很会弹钢琴。
あの人はピアノを弾くことができる。那人会弹钢琴。
具体还是要放进语境里自己多理解
饮める(能喝下去)
饮む(喝)こと(这件事)ができる(可以做到)。(能喝下去)
上面两句意思相同,只是说法不同。
ピアノが弾ける(会弹钢琴)
弾く(弹)こと(这件事)ができる(可以做到)。(会弹钢琴)
同上,意思相同,说法不同。
过去说来用动词的可能态一般是表示本身能力的,而句型“ことができる”一般多用于表示外部条件的许可。如:道が悪いから、车は一时间で30キロしか走ることができませんでした。/ いい车で一时间は80キロも走る。
故表示某种东西具有的性能或价值时一般都用“れる”“られる”的动词可能态、不用句型”ことができる”,如:このナイフはよく切れる。/ ここには食べられるようなものを売っている。
(不过现在在使用上也有些混淆,即两者有混用现象)