れ味が钝ったら、刃先を②ポキッと折る。すると新品同様の刃先が头を出す、という実に経済的な商品だ。
発案したのは冈田良男さん(1931~1990)。印刷工场の集まる大阪市中央区农人桥で生まれ育った冈田さんは、子供の顷からモノづくり、手仕事が好きだったという。しかし、第2次世界大戦で生家の工场が焼失、14歳で终戦を迎えた。5人兄弟の生活を支えるために中学校を中退し、印刷工场で営业の仕事をしていた。
24歳の顷、冈田さんは勤务先で、フィルムや纸を切るナイフの切れ味が落ちると舍てられてしまうのを见て、③「何とか长持ちするナイフはできないものか」と考えた。当时の日本制ナイフは切れ味が悪かった。切れ味の良い外国制は高価で手が出せない。
冈田さんがまず考えたのは、大阪の駅前などで靴の修理をする职人たちのこと。彼らは靴の踵を直す时、ガラスを割って、ナイフ代わりにして使っていた。割れば再び锐い刃先が生まれる。では、どうやってナイフを割るのか?
ふと头に浮かんだのが、戦後、大阪の街にも现れた进驻军(米军)兵士たちが持っていた「板チョコレート」だった。细い沟を入れれば、ポキッと折れる、「1本の刃が次々と折れたら、何度でも切れ味がよみがえるナイフができる」。
冈田さんは早速、弟の三郎さんと④试作品づくりを始めた。刃のサイズ、刃の折り目になる沟の幅と深さ、刃をスライドさせて出し入れする机构、バネで刃を固定する工夫……思考错误を経て、「折れる刃式」第1号は1956年に完成した。
初めはわずか3000本の手作りナイフが、またたくまに评判となり、现在ではアメリカを中心に世界110カ国に输出されている。戦後の焼け原が生み出したアイディアが、ポキッという音とともに今も世界中で⑤息づいている。